「子どもを叱るな 来た道だ
年寄り笑うな 行く道だ
通り直しがきかぬ道
今日もいきます 人の道」
昔、祖父母の家のトイレに貼ってあった言葉です。
おそらく、こんな感じの詩だったと思います。
いくつか貼ってあった中で、なぜかこれだけははっきり覚えているんです。
この言葉の意味、今になって思うと、
「相手の立場や気持ちを思いやろうよ。自分もかつてはそこにいたんだし、いずれはそこにいくんやで」そんな感じでしょうか。
「自分だって完璧じゃない。だからこそ、日々”人としての道”をいくんでしょ。みんな同じように歩いてるんだから」
そんな教訓も含まれていたんですね。
大人になってみると、あの言葉の深さがようやくわかってきました。
昨日のお昼休み。同僚たちと「自分も子どもの頃、たいがいやったよなぁ」なんて話していました。
「宿題とか忘れ物、めっちゃ多かったし。」
「雨の中、傘ささんと歩いたり。」
「一日で傘壊して帰ったり。」、、、だいぶ強者ですね(笑)
私も小学生の時、「傘をささずに行ったら、帰らしてもらえるかも」なんて友達と話して、わざと大雨の日に濡れて習い事に行ったことがありました。おバカですねぇ。
相手の立場に立つ、相手を思いやるって、要は“想像力”のなせる技なんだと思います。
でも、「自分も昔はそうだったでしょ?」って言われたら、「確かにそうだな」と思えるものです。
あの詩には、
「思いやり」「謙虚さ」「自分を振り返る心」
いろんな大事なことが詰まっていたんだなと、大人になってしみじみ思います。
子どもの頃は、母に怒られたときに「子どもを叱ったらあかんねんで!お母さんも昔は子どもやったんやろ!」って言い返していたような。。。屁理屈こねて生意気な子どもですね。
人はみんな、それぞれの道を歩いています。
子どもだった時、今の自分、そしていつか来る未来の自分。
通り直しがきかないからこそ、今日もまっすぐ、優しく、歩いていきたいですね。